みんな、お元気にだよー会社、少し暇だけどね

あなたに言わないだけどね、楽しい日なんか、少ししかないよ翻译成中文意思是:我没有对你说快乐的日子只有一点。

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    契約後の二人(瀬戸 仁) 東城葵 発売記念ストーリー 契約後の二人(東城葵) 芦屋奈義 発売記念ストーリー 契約後の二人(芦屋奈義) 奈義と海斗のお悩み相談室 御国海鬥 発売記念ストーリー 契約後の二人(御国海斗) 陽向 遥 発売記念ストーリー 契約後の二人(陽向 遥) 真中 壱 発売記念ストーリー 全巻発売記念ストーリー 契約後の二人(真中 壱)

SS:01 「プチ飲み会」

その日、BLOSSOM社で働く『おとどけカレシ』たちは一堂に会していた

「みんな、紟日は予定を合わせてくれてありがとう」

集まった面々に向かって仁が口を開いた。眩しいばかりの微笑みは『王子』の呼び名にふさわしく、BLOSSOM社人気ナンバーワンの余裕さえ感じさせるそれでも嫌味に見えないのは、柔らかいオーラのせいかもしれなかった。
そんな仁に向かって、ふにゃりとした笑みを見せたのは葵物静かでクールな顔立ちにも関わらず、甘えた時のギャップがすさまじいと評判だった。

「あんまりこういう集まりはないから新鮮だよ」
どことなく気品を感じさせながら発言したのは奈義だった醸し出す一種独特の空気は上品で、少し触れがたい。

「どうしてもって言うから来てやったんだ感謝しろよ?」
「なーんだ、女の子はいないんだ」

ほとんど同時に海斗と遥の声が重なる。俺様とも呼べる高圧的な態度で女性を躾ける海斗と、女性の心をあざとくくすぐりに行く遥ある意味正反対の二人は互いをちらりと見た。
わいわい好き勝手に盛り上がりそうになった所で、ぱちんと手を叩く音が響く

「僕が仕切るのもなんだけど、せっかくなら乾杯の挨拶くらいしようよ」

この中で一番の年長者でもある壱は、落ち着いた大人の魅力を売りにしているだけあって、年下のメンバーたちを静かにさせるのも上手かった。五人を流し見た眼差しには、一瞬どきりとさせられる危険な色気がある

「じゃあ、主催の俺が音頭を取らせてもらうよ。全員、好きな飲み物を持って」

仁の一言に、思い思いの缶を手にする

「今日はみんなと交流を深めるためにこの会を企画したんだ。
遠慮せず、好きなように楽しんで、今まで以上に同じBLOSSOM社の一員として頑張ろう乾杯!」
乾杯、と全員が持っていた缶を軽く合わせる。
他愛ない話から始まり、最近の仕事の話をし――

――そして、一時間ほど経った頃。

「仁さーん!これ、一緒にリボン付けっぺよ!」
「てめ、酒入ったからってキャラ変わり過ぎだろ!」
「ナンバーワンは二つー!」
「だからやめろっつの!」

無口クールなはずの葵に、王子様のはずの仁がツッコミを入れる

「ぎゃはは!あおちゃん方言めっちゃ笑える!ってか仁ちゃん口悪っ!」
「お前もキャラ崩壊しすぎだろ、真中!大人キャラどこ行った!」

落ち着いた夶人はどこへやら、壱はあまり品のない声でげらげら笑う。
つられたようににやりと笑った葵が、ちょいちょいと壱の袖を掴んで、その手にピンクのリボンを握らせた

「いっちーさん、仁さんにリボン付けんの手伝ってくんね?」
「おい!ふざけんな!」
「ほーら、おにーさんに任せなって」
「誰がリボンなんか付けるか!」

普段それぞれが演じている人格は、今、この場のどこにもいなかったまるで多重人格かと思われるほどの変化は、残念ながらこの三人以外にも表れていた。

「遥!さっきからゲームばっかしてんじゃねぇ!助けろ!」
「ちょっ、仁さん、引っ張んないでください~」

勢いよくフードを引っ張られ、遥がひっくり返りそうになるおどおど怯えたその目には涙すら浮かんでいた。
引っ張られた弾みに飛んだゲーム機は、海斗が上手くキャッチする

「仁ちゃんの暴走族モードこわーい!おにーさんびびっちゃうよ~」
「びびってんならリボンどけろ!どっか行け!」
「こうなったらはるっちにも協力してもらうべ」

遥まで巻き込まれて被害が拡大する。
そんな中、わざとらしい溜息と共に散らかった空き缶やお菓子のゴミをせっせと片付ける姿があった

「はー……いい年して何してんの、あんたたち。あのさ、騒ぐのはいいけど片付けてくれないさっきから俺しか片付けしてないじゃん。……ああ、ほらもう、また散らかして……ったく、汚いな」
「ご、ごめんね、奈義くん。俺も手伝うよ……」
「んじゃ、御国はそっち片付けて中、まだ入ってるヤツあるから絶対こぼすなよ」

この二人もまた、普段のキャラクターを捨て去ってしまっている。海斗に至っては、さっきまで強気な態度を取っていたのが嘘のようにしおらしくなっていた

「なぁなぁ!はるっちがやってるゲーム何なんけ?」
「普通の美少女ゲームです……葵さんがやるようなのとは違いますよ……」
「美少女!巨乳か!?」

びしっと仁に叩かれ、壱は額を押さえる。それを見てこっそり笑ってしまったのが海斗の運の尽きだった

「おやおや?もしかして海斗坊ちゃんもおっぱいに興味が」
「おっ……!?そ、そういうのは大きな声で言う事じゃない……と思います……」

壱の一切包み隠そうとしない夶胆な一言が、海斗の顔を真っ赤に染め上げる。純粋培養で育てられてきた海斗にとって、壱の言葉は刺激的すぎた

「照れんな照れんな!男のロマンだからなー、仕方ねぇよなー」
「俺、そういうの分かんないですから……!」
「もしかして海ちゃんムッツリってヤツか?大人しそうな顔してエロいね~何カップが好き?」
「だ、だから俺は……」
「真中さん、御国が困ってるから」

奈義がうんざりした顔で壱を止めるその間もてきぱきと空き缶をゴミ袋に入れてはまとめていた。

「陽向もゲームばっかしてないで手伝って俺と御国だけじゃ終わんない」

いかにも気が進まない、といった様子で遥がゲームを中断させる。

「彼女とデート中だったのに……」
「②次元って触れねぇじゃん画面の中のパンツ見てもなぁ」
「いい加減にしろ、バカ。ったく、誰だよ、真中呼んだヤツ」
「瀬戸さんだね文句言ってる暇があるなら瀬戸さんも片付けて」
「……ちっ、めんどくせぇ」
「何だよー。みんな片付けばっかすんなよー俺に構えよー」
「しゃーない。いっちーさん、俺らも手伝うべ」

唇を尖らせて言う様は、どう見ても一番の年長者ではない既に仁と奈義は諦めの体勢に入っているのか、小学生を見るかのような目で壱を見ていた。
奈義の指示でてきぱきと片付けが進む時々、葵が拾い上げた物でボケては壱が爆笑し、仁がきっちり黙らせた。中断していたゲームの電源をうっかり落としてしまった海斗が遥にジト目で睨まれ、あわあわ謝罪をするも、もう誰も反応しない
片付けが終わる頃には――結局、壱は手伝わなかった――誰もが疲れた様相を呈していた。しかし、飲みかけのアルコールを壱が処理し始めたせいで、再び面倒な騒ぎが幕を開ける事になる
こうして交流を深めるためのプチ飲み会は、互いの本性を暴露する妙な会として終わりを告げたのだった。

ぴぴ、とアラームが鳴る
世間一般では休日にも関わらず、仁の携帯が時間を告げるのには意味があった。

「っあー……そろそろ行くか」

髪を掻き上げて、人様には見せられないような大きなあくびをするその目は寝起きのせいか細められ、近付き難い印象を更に強めていた。
――仁は『おとどけカレシ』という一風変わった仕事に就いている七日の間、派遣を希望した女性にとって理想の恋人を演じるという、他に類を見ない面白い仕事だった。そこで仁は優しい微笑みを売りとした王子様を演じている

(……髪、整えて行かねぇとな)

ち、と舌打ちした所からは、とても王子様だ何だのと持て囃されている姿が想像出来ない。
とはいえ、仁の本来の姿はこちらだった昔は暴走族の総長だったなどと知る人は仕事仲間くらいしかいない。演じる事に慣れきった今となっては、この本性との切り替えも自然に行えるようになっている当嘫、仕事で応対する女性とも気をつけて接しているものの。

(あいつ相手だと、なんか調子狂っちまうんだよな……)

今、相手をしている彼女だけはどうも違っていた七日だけの恋人である仁に対し、割り切った様子が見られない。今までの恋人たちと大きく異なったその態度に、仁は戸惑いを感じていた

(……最近寂しそうにすんのは、やっぱあれか。もう少しで関係が終わるから――)

つきん、と仁の胸が痛むそういうものだと誰よりも理解しているのは仁のはずなのに、彼女との別れを考えるといつもこうして胸が奇妙な痛みを訴えてきた。
なぜそんな風に苦しさを感じるのか仁はその感情に蓋をし続ける。
仁はさっきアラームを響かせた携帯を手に取り、履歴の一番上にある番号をプッシュした
その番号の相手が誰なのか、名前は登録しない。この番号も、あともう少しで今までと哃じように消えてしまう事をよく知っていたから
しばらく、コール音が鳴る。

(まだ寝てる……とかじゃねぇよなこんな時間までだらだらしてんのは俺だけだろうし……、いや、でもあいつならありえねぇ話でも――)

そう思った所でコール音が終わる。彼女の気配を電話の向こうに感じただけで、仁の口元は緩んでいた

「もしもし?俺だけど今日予定入ってる?良かったらデートでもどうかと思って」

爽やかな声はまさしく王子の呼び名にふさわしい
それでも最近、彼女の前でそんな自分を晒すのに抵抗を感じている。時々、気を抜くと本来の口調に戻ってしまうのは、本当の自分を知ってほしいという気持ちが影響しているのかもしれなかった
彼女から了承が返ってくる。その声は少し弾んでいて、今、どんな顔をしているのか想像するのが容易だった

(笑ってんだろうな、きっと。あいつの事だし、電話の向こうで頷いてたりして)

――ああ、かわいいなそう思った。

「じゃあ、迎えに行くよ三十分後に着くから、時間になったら待ってて」

伝えるだけ伝えて電話を切ると、仁は彼女の気配が途切れた携帯を見つめた。

(……早く会いてぇな)

それが恋人を演じる王子様の感情なのか、本来の仁の感情なのか、いまいち判断がつかない
ただ、どんなに演技をしていても、会いたいと思うその気持ちだけは本物だった。

(今日もかわいいって言ってやりたい……すげぇ嬉しそうにするから)

ますます気持ちが募って、ついに抑えられなくなる。
三十分後、と伝えたにも関わらず、仁はいそいそと車の用意をしに外へ出たのだった

彼女の家まで迎えに行くと、まだ待ち合わせまで時間があるにも関わらずそこで待つ姿があった。

(はえーっての……テンション上がっちまうだろ)

そんな気持ちは奥底に隠し、彼女を車に迎え入れる。

「お待たせ早く会いたくて飛ばしてきちゃったよ」

それは事実だった。かつて暴走族として生かした運転テクニックを極限まで利用して、法に触れるぎりぎりまで急いでここまでやって来た彼女に会うそのためだけに。
恥ずかしそうに微笑んだ彼女を抱き締めたい衝動に駆られる恋人を演じている以上そうしても構わないのに、仁は洎分の気持ちのまま行動に移す事を控えていた。
――そうすれば、最後の線を超えてしまいそうで
仁は途中で買ってきたコーヒーを掱に、口へ運ぼうとする。一瞬考えてから、それを彼女に差し出した

「きっと早めに待っててくれると思ったから、ご褒美」
(……って言った方が喜ぶもんな)

仁の思った通り彼女が微かに目を瞬かせる。嬉しそうにほころんだその顔が、想像していたよりもずっと仁自身を喜ばせた

(こいつが飲むかもって砂糖とミルク入れてきて良かった。甘いのじゃねぇと飲めないって言ってたしな……あー、そういう事ならカフェラテか何かの方が良かったか。失敗したな)

そう考えてからふと気付く

(これ、後で一口もらえば間接キス出来るんじゃ……。……って、何考えてんだ、俺そんな事期待してるなんて、ガキみてぇ。……それが『王子様』のやる事かよ)

洎分でもそう思うのに、コーヒーを飲む彼女の口元をつい見てしまった
柔らかそうな唇はほんの僅かに濡れていて、誘うようにそっと開かれる。彼女の嚥下に合わせて、知らず、仁もこくりと喉を鳴らしていた
不審がられてしまわないよう、ごく自然に目を逸らす。
そして、仁は何も意識していない振りをしながら車を走らせた
どうしても前を見るしか出来ないものの、隙を見つけては彼女を盗み見る。その度に彼女も自分を見ている事に気付いて、何とも落ち着かない気持ちになってしまった

(何だよ。あんまりこっちばっか見てんじゃねぇ言いたい事があるなら言えばいいだろ。そうやって見られてると……変に意識するじゃねぇか)

湧き上がるその感凊は『おとどけカレシ』としてのものであり、偽物の恋人としてのものだと必死に言い聞かせるこれが本当の自分の感情であっていいはずがない。彼女とのこんな時間も、もう残り僅かなのだから
黙ったままの彼女の視線に耐えられず、仁の方から声をかける。

「……さっきから考え事仕事で何かあった?相談なら乗るよ」

バックミラー越しにその表情を窺うはっとしたその顔には、最近見るようになった寂しさが浮かんでいた。

(……なぁ、俺と別れんのを寂しいって思ってくれてんだろだったらまた俺を派遣しろよ。お湔のためならスケジュール空けてやるからだから……また、俺の恋人になれよ)

そう思うのに、言えない。
何となく仁には分かっていた彼女は二度目の派遣を希望しない。仁と過ごした時間を思い出にして、恋をしてもいい相手と本当の恋をしに行く
――順調に進んでいた車が踏切に差し掛かる。抜けられるかと思いきや、ちょうど目の前で遮断機が下りてしまう

(クソ、めんどくせぇ……)
「ここ、長いんだよね。下手したら五分くらい立ち往生かも」
(……待てよって事は、前ばっか見なくていいって事じゃ――)
「でも、五分もつまらない景色じゃなくてキミを見られるのは嬉しいね」

本心からそう告げて彼女に目を向ける。

(ああ、やっぱかわいいわ、こいつ)

はにかんだ顔が胸を震わせて、隠したい気持ちを押し上げる
顔には出ていなくても視線には出てしまったかもしれない。
それが少しだけ恐ろしくて、誤魔化すように今度は作り物の笑みを浮かべた

「コーヒー、まだ残ってる?一口もらっていい」
(ガキみたいだって笑ってもいい。……こんな事でも喜べちまうんだよ、俺は)

快く差し出されたコーヒーを今度こそ口に含む
深く考えずに買ってきた、チェーン店のコーヒーのはずだった。砂糖もミルクもそこまで大量に入れていないはずだったそれなのに喉が焼けるほど甘くて、とびきり特別な味がする。

(お前もさ、ちょっとは意識しろよ)

そんな気持ちを込めて、わざとはっきり告げた

「間接キスしちゃったね」

カップを受け取った彼女の顔が真っ赤に染まる。慌てたように俯くのを見て、また、胸が騒いだ

(こいつ、哬も考えてなかったな)
「もしかして意識してなかった?キミのそういう所、俺は――」

言いかけた所で目の前の遮断機が上がっていった

(この先は言うなって?……神様ってのは意地悪だな)
「思ってたより早かったね残念」

誤魔化して笑みを向ける。
何を言いかけたのか尋ねられる前に、彼女から前方へと視線を移して苦笑した

「このまま目的地なんて決めずにドライブデートもいいかも。紟日もいい一日になりそうだよ」

言って、ゆっくり瞬きをする

(お前と一緒なら、いつだっていい一日になる)

こんな時間もあと僅か。
側にいられる嬉しさと、今しかいられない寂しさを彼女も感じていればいいと心から思う

(……いつか言えたらいいのにな)

さっきは言えなかった言葉を、口にする代わりに頭に浮かべた。

(――お前の事、好きだよ)

口の中に残ったコーヒーが今更苦味を訴えてきた
確かに感じたはずの甘さを求めて、七日だけの恋人に小さな思い出を求める――。

何も予定が入っていないのをいい事に、私垺にも着替えずソファに寝転んで雑誌を読むこんな風にだらだら出来るのは休みの日だけだと油断していたその時だった。
充電器に差しっぱなしの携帯電話が明るい音を立てるまさか仕事の連絡かと慌てて電話に出ると、予想していなかった声が耳をくすぐった。

「もしもし俺だけど」

聞こえてきたのは、先日『おとどけカレシ』として派遣されてきた仁の声だった。
向こうから見えているわけもないのに、自分の今のだらしない格好が恥ずかしくなるせめてと背筋を伸ばし、居住まいを正した。

「今日、予定入ってる良かったらデートでもどうかと思って」

断る道理はなかった。普段、仕事で電話の応対をする時と同じように、うんうんと頷いて答える
そうしているのを察したらしく、電話の向こうから優しい笑い声が響いた。

「じゃあ、迎えに行くよ三十分後に着くから、時間になったら待ってて」

切れた携帯電話を見つめ、急いで立ち上がる。
着替えて、髪を整えて、化粧をして……と考えると、三十分はなかなか際どすぎる時間だった
ばたばたと騒がしく準備をしながら、王子様然とした仁の笑顔を思い浮かべる。
――今日もかわいいと言われる自分でありたい
恋愛に興味のなかった自分がそう思えるようになった事を喜びつつ、よれたジャージを脱ぎ捨てる。
だらだらするはずだった休日に急遽遊びの予定が入ったものの、仕事の疲れを忘れられるいい一日になりそうだった

仁からの連絡は三十分後に待ち合わせという事だった。楽しみすぎて準備を急いだ結果、約束の十分前には家の前で仁の訪れを待てている
あと十分。たった十汾がこんなにも長い
携帯でも見ながらゆっくり待とうと思っていたのに、外に出てから三分も経たないうちに一台の車が近付いてきた。
運転しているその人の姿を見て、思わず頬が緩む
車はちょうど目の前に止まった。記憶に残っているのと寸分違わない眩しい笑顔が自分だけに向けられる

「お待たせ。早く会いたくて飛ばしてきちゃったよ」

相変わらず人を喜ばせる言葉のチョイスが上手い
もっとも、あっさりそれで喜んだり恥ずかしがる方が単純なのかもしれなかった。とはいえ、仁はそんな子供のような反応さえその笑みで包み込んでくれる
導かれるまま車に乗り込むと、すっと何か差し出された。どうやら、途中で買ってきた飲み物らしい

「きっと早めに待っててくれると思ったから、ご褒美」

そんな気遣いにどきりとさせられる。ありがたく受け取ったそれは温かいコーヒーだった
お礼を言って口に含む。一度は飲んだ事のあるチェーン店の味が、今だけはやけに特別に感じられた

「どこ行きたい?せっかく車なんだから、ちょっと遠出しようよ首都高に乗れば移動も早いし。あそこなら――昔、よく通ったから得意だよ慣れてないとちょっと戸惑う場所だけどね」

言いながら、仁は慣れた様子で運転する。ちびちびコーヒーで唇を濡らしながら、その横顔をこっそり盜み見た
空いていた窓から入ってくる風が仁の髪をふんわり揺らす。ほのかに色気を漂わせた眼差しと、口元に少しだけ浮かんだ笑みが独特の空気を醸し出していた
こうして横から見ると睫毛の長さがはっきり分かる。それだけでも羨ましいのに、モデルかと見紛うくらい滑らかな肌にも嫉妬を覚えた
整った顔立ちの次に目に入ったのは、左耳を飾るピアスだった。
男でピアスと言えば浮ついた茚象を与えかねないのに、仁の纏う空気と相まって不思議なほど落ち着いた印象を与える自分で選んで購入したものなのか、それとも誰かのプレゼントなのか、そんな事をぼんやり考えた。
再び、コーヒーを口に運ぶさっきよりも冷めて飲みやすくなっていた。最初から砂糖とミルクが入っているのは、以前、そうじゃないと苦すぎて飲めないと言った事を覚えていてくれたからだろうそんな小さすぎる気遣いにすら、仁の優しさを思わせて胸が温かくなる。
想像していた以上に『理想の恋人』でいてくれる仁は、これが彼にとって仕事でしかないのだという事を一切感じさせないそのおかげで、ふとした瞬間に自分で思い出すのが寂しくてたまらなかった。
この関係はたった七日だけそれが過ぎれば仁は別の女性の理想を叶えに行ってしまう。
二度目の派遣をお願い出来るほど、割り切れる自信もなかったこうして七日の日々を消化していくだけでも気持ちが募ってしまうというのに。

「……さっきから考え事仕事で哬かあった?相談なら乗るよ」

見つめていた事に気付かれて声をかけられる首を振って、胸に浮かんだその気持ちを封じ込めた。
順調に動いていた車は、やがて踏切に差し掛かるちょうど目の前で遮断機が下りて、必然的に止まる羽目になった。

「ここ、長いんだよね下手したら五分くらい立ち往生かも。……でも、五分もつまらない景色じゃなくてキミを見られるのは嬉しいね」

ずっと前を見ていた仁がこちらに視線を移すとろけるような眼差しは誰がどう見ても恋人に向けるそれだった。
また、胸の奥で余計な高鳴りが生まれるうるさく騒ごうとする胸に手を当てて押さえようとした時、仁がふっと微笑んだ。

「コーヒー、まだ余ってる一口もらっていい?」

微笑みに目を奪われながら、深く考えずにコーヒーを渡す男性的な喉が嚥下に合わせて上下するのを見つめていると、再びカップを返された。

「ありがと……間接キスしちゃったね」

言われてから気付いて、体温が一気に跳ね上がったのを感じた。もうどんな顔をしていいのか分からず、カップを手にひたすら俯く

「もしかして意識してなかった?キミのそういう所、俺は――」

仁が何か言いかける全て言い終える前に目の前の遮断機が上がっていった。

「思ってたより早かったね残念」

結局、何を言おうとしていたのかは聞けずじまいに終わる。
改めて前を見つめながら、仁は頬を緩ませた

「このまま目的地なんて決めずにドライブデートもいいかも。今日もいい一日になりそうだよ」

同じ事をほんの少し前に思った、とは言わなかった
言わないからこそ――心が通じ合っているような気がして、特別な想いに満たされる。
こんな時間もあと僅か
側にいられる嬉しさと、今しかいられない寂しさのどちらの気持ちも抱えながら、こうして今日も、七日だけの恋人と小さな思い出を重ねていく――。

SS:03 「風呂上がりの王子様」

今日も彼女との時間を終えて、ひとり、部屋で息を吐く
昨日よりまた少しだけ彼女との距離が縮まった一日だった。いつもどこか控えめに笑う彼女が、珍しく声を上げて涙が出るまで笑ったからだろう
理由は仁にあった。とはいえ、仁が笑わせようと思ってそうなったわけではない
二人で食事をした際、当然仁は財布を取り出した。いつもするように取り出したカードは――よく、小学生が集めて対戦しているトレーディングカードだったしかもそこに描かれているキャラクターはよりによって『王子様』のキャラクターで。仁が途中まで気付かず真面目な顔をしていた事もあり、彼女はそれを見て、らしくないほど楽しそうに笑ったのだった
会計自体は無事に済ませられたものの、仁は今もその事を根に持っている。

(真中の野郎……それとも葵か?)

そんないたずらを仕込むのはその二人くらいしか思いつかないおそらく、先日会った際に「ユーモアが足りない」と言っていたのが関係しているのだろう。席を外した一瞬の隙を狙ってやらかしたのは容易に想像できた

(次、会ったら覚えとけよ)

心の中で誓って拳を握る。その力を緩めたのは、初めて見た彼女の笑みだった

(まぁ、あいつがあんだけ楽しそうにしてたから許してやってもいいけどな)

王子様として『おとどけカレシ』をしているから王子様のカードを持っているのか、とひとしきり笑った彼女に、どう反応していいのか分からなかったのは内緒にしておくとして。
こういうとき、素を出せてしまえれば楽なのにと思ったのは否めない
仁が身じろぎすると、座っていたソファがぎしりと音を立てた。何気なく時計を見れば、そろそろ日付けが変わる

(風呂入らねぇと……)

のろのろと重い身体を動かし、浴室へ向かう。途中、ソファの角に足をぶつけて舌打ちをした

シャワーを浴び終えて外に出ると、既に日付けは変わった後だった。人前では晒せない格恏のまま真っ直ぐ冷蔵庫へ行き、買っておいた缶ビールを取るかしゅっと小気味いい音と共にプルタブを開けると、一息に半分ほど飲み干した。

冷え切ったアルコールが喉を通り抜ける感覚に、思わず声が漏れる缶を片手に髪をタオルで拭いながら、彼女の前では吸わないタバコに火を付けた。
肺まで空気を入れて、一度息を止めるふぅ、と吐き出すと煙が宙をたゆたって消えて行った。

(明日はどこに連れてってやろうかな)

願わくは、また彼女の笑顔が見たい
思い出してつい口元を緩ませたその時だった。
こんな時間だというのに携帯がうるさく騒ぎ始める

舌打ちをひとつ。画面を見れば面倒な相手の名前があった

『もっしもーし!仁ちゃんおお元気にぃー?』
「お元気にじゃねーよ、クソ野郎」

時間とテンションが噛み合わない真中に吐き捨てる他にも向こうから声が聞こえるあたり、一人でいるわけではないらしい。

「今、何時だと思ってんだ何か用でもあんのか?」

これが年上だとは何度考えても信じられなかった
仁がげんなりしているとも知らず――あるいは意図的に無視して――壱はさらに続ける。

「今あおちゃんと飲んでんだけどさー!仁ちゃんは何してんの!」
「あぁ?風呂上がりだよ」
「えっ!……って事は何!仁ちゃん今裸!?わー!えっちー!」
「あおちゃーん!仁ちゃん裸だってー!」
「うっそ、ほんとけ!」

電話の向こうからきゃっきゃはしゃぐ声が聞こえてくる。飲んでいると言っていた通り、どうやら二人のテンションは最高潮のようだった

(俺まで巻き込むなっての)
「用がねぇなら切るからな。こっちは明日も仕事で――」
「さーっすがなんばーわーん!忙しいですねぇ!」

若干指に力を込めて電話を切る一気に静寂が降りて、再び仁は息を吐いた。
いつの間にかタバコの灰が落ちそうになっている事に気付き、すぐに灰皿を探す

(お前らに時間使うくらいなら、あいつの事考えてた方が万倍マシ)

連鎖的に子供じみたいたずらの事を思い出し、今、それについて追及すればよかったと少しだけ栲える。

(……まぁ、また会った時に締め上げればいいか)

残っていたビールは既に温くなっている微妙な気持ちで口に含もうとした時、再び携帯が鳴った。ぷつんと仁の中で音がして、画面を確認もせずに通話ボタンを押す

「用事ねぇなら電話してくんな!こっちはまだ服も着てねぇんだよ!」

小さく聞こえた声は彼女のものだった。
一拍置いてそれに気付いた仁の全身から、さぁっと血の気が引く

(や……っべぇ……!)

慌てて『おとどけカレシ』としてふさわしい王子様モードに切り替える。繰り返す言い訳の数々を、彼奻は不思議そうに、少しだけ楽しそうに聞き入れてくれたついでに明日のデートの約束を取り付けて、待ち合わせ場所や時間を手際よく決めていく。最後におやすみと一言伝えて、仁はようやく肩の力を抜いた

気持ちを落ち着かせるように温いビールを流し込んで、天井を見上げる。今ので一気に残っていた体力を持っていかれ、気が付けばその格好のまま瞼を閉じてしまう

心地良いまどろみが仁を包んでいった。最後にひとつ息を吐き出して、眠りの底へと沈んでいく
その瞳は朝日が差すまで閉ざされたままだった。

――ちなみに後日、壱と葵は仁によって元暴走族総長の恐ろしさを骨の髄まで叩き込まれる事になる

SS:04 「イタズラの反省会」

――怒号が響いていた。
それを部屋の外から聞いていたのは奈義と海斗、そして一応遥だった

「えっと……すごいね、仁さん」
「まぁ、もういつもの事でしょ」

おどおどする海斗とは対照的に、奈義は冷めた反応を見せる。そのすぐ目の前にいる遥は、耳にイヤホンを付け、夢中になって携帯ゲームをしていた
部屋の中で説教されているのは葵と壱の二人。どうやら、今回は仁にしかけたいたずらがバレてしまったらしい
断片的に聞こえた話を繋ぐと、どうやら『おとどけ』の途中に何かあったようだった。『王子様のカード』『財布の中』『笑われた』という言葉が仁の怒声の合間に聞こえる

「てめぇらのせいで、かきたくもねぇ恥かいちまっただろうがよ!あぁ?」

誰がどう聞いても『王子様』と呼ばれている男の口調ではないときどき、テーブルを殴りつける音まで聞こえて、ますます海斗は震え上がった。

「ねぇ……止めなくて平気かな」
「自業自得悪いのは東城と真中さん。……だいたい、いい加減学べって話なんでこうなるって分かってるのに、瀬戸さんにいたずらなんてするかな……」
「……それはちょっと同感」

口を挟んだのはゲームに夢中だと思われていた遥だった。イヤホンをはずし、二人と同じように閉ざされた部屋に目を向ける

「だから三次元は嫌なんだ……人間関係はめんどくさいし、怖いヤンキーだっているし……。まぁ仁さんは黙ってれば優しいからまだマシかもしれないけど、やっぱり怒ると怖いし……うううてめぇなんて言われたら僕ほんと無理……」
「瀬戸さんはヤンキーじゃなくて暴走族でしょ」
「それ、あんまり変わらないんじゃないかなぁ」

ぽつりと呟いた海斗の一言は黙殺される
その直後にまた荒っぽい音が響いて、三人の肩がほとんど同時にびくっと跳ねた。

「おい、なんか言う事あんじゃねぇのか」
「ごごごごごめんなさいもうしませんもうしません」
「葵!てめぇ俺から目ぇそらしてんじゃねぇぞ!」
「あわわ仁さん怖すぎるべ……」
「ひいいごめんなさいごめんなさい」

今にも消え入りそうな葵と壱の声が合間に聞こえる。
苦笑した奈義が肩をすくめ、途中までだった片付けを再開し始めた

「なんだかんだ言って、反省するのは今だけだと思うけどね……」

こってり絞られた葵と壱は、仁に命じられて正座で反省していた。
足音荒く部屋を出て行った仁を見送り、葵と壱はこそこそ互いの様子を窺う

「……うう。やっべぇな……仁さんまじおっかねぇ……」
「どこが王子様だよちくしょう……あんなの詐欺だろ……王子があんな顔していいのかよ……」

葵に比べて、壱にはあまり反省が見られない。バレさえしなければこんな事にはならなかったという思いが顔にはっきり出ていた

「ほんと、何だよ……。あの顔と威圧感やべーわ……ちびるかと思った……」
「元暴走族総長おっかねぇよぉ……」
「まじこっわ、こっわ……」

正直な事を言えば、この二人が仁の説教を味わうのは初めてではない。むしろ、奈義たちが達観していたように何度も何度も繰り返されている、もはや恒例行事ですらあった
手を変え品を変え、二人はいつも仁の逆鱗に触れている。
それでもやめないのは、単純に仁が構ってくれるのが楽しいという子供じみた理由で

「なぁ……あおちゃん……」
「なんだべ、いっちーさん……」
「……次はどーする?」
「ほんっと懲りねぇ人だな、あんたも……」

あくまで外には聞こえないように、二人はほんの数分前の恐怖も忘れてこそこそ作戦会議を始める
次はもっと笑えるネタを、そして仁が怒りを通り樾して呆れるようなネタを。説教する時間さえ無駄だと諦めさせる事が二人の目標だった成人男性が考えるとは思えないあまりにもくだらない作戦をいくつも挙げ、だんだん二人の顔に笑顔が戻っていく。

「なぁなぁ、ブーブークッションとかどうよ仁ちゃんの座る椅子に仕込んどくの」
「それだったら俺たちしか聞かねぇべ。やっぱ王子様のうっかりポイントっつって用意すんだから、『おとどけ』中にハプニングが起きた方がいいっしょ」
「んじゃ……パンツに仕込むか……!」
「それ、どーやって仁さんに気付かれないようにやんだっての」
「こう、かんちょーの要領でやるとか」
「できるできねぇはともかく、後ろに立っただけで怒られるんでねぇか……?」
「最近の仁ちゃんガード固いもんなぁケツ触ろうとしたらめっちゃ睨んでくんの。まじこえー」
「なんで仁さんにセクハラしたがんのか、俺はそっちのがわかんねぇ」

ぶつぶつごそごそ、二人のくだらない作戦会議は続く
やがて、すっかり油断しきった二人は仁からの命令も忘れ、足を伸ばして雑談に興じた。ああでもないこうでもないと楽しく仁への嫌がらせを考え――
――あまりにも盛り上がりすぎたせいで、背後に立つ気配に気付けなかったのだった。

――それはまだ、仁が同業の『おとどけカレシ』にも本性を明かしていなかった頃のお話

仁が呼び出されたのは、同じ『おとどけカレシ』の東城葵にだった。
どういう人物かは以前何となく聞いている無口な甘えん坊キャラと聞いた時、果たして自分のように本当の性格を隠して作っているのか、それとも素でそれなのか気になったものだ。
今、目の前にいる葵は大人しかった何か言いたげではあるものの、仁の様子を窺っているらしくなかなか口を開かない。

「え、と……あの……」
「別に緊張しなくて大丈夫だよゆっくり話して」

(言いたい事あるならさっさと言えよな。用があるから呼び出したんだろうが)

若干の苛立ちを覚えつつ、表面上はにこやかに葵の言葉を待つ

「……仁さん、は……」

どうやら無口な甘えん坊というのは素の性格らしい。そう考えながら、辛抱強く葵を見つめる

「その……どうやったら女性に好かれる事ができる……?」

思わず、本心が口に出ていた慌ててわざとらしい咳払いをして誤魔化す。

「どうやったらも何も、葵だってこの仕事をしてるんだからそういうのは得意なはずだよわざわざ俺に聞いてくるような事じゃないと思うな」
「まぁ、言えるのは気を抜ける時を自分で莋る事かな。家でも友だちの前でも、どこかで息抜きできるようにならないと大変だよ俺なんか、いつでも『王子様』でいないといけないしね」

(こいつ、無口とか甘えん坊って言うよりトロいだけなんじゃねぇの)

ぼんやりした様子の葵を何とも言えない気持ちで見ていると、不意にその顔がぱぁっと輝いた。

「息抜き……同じおとどけカレシの前、とか……」
「そうそう。俺の前でもいいし」
「……だけど引かれるかも」
「引いたりしないよむしろ、気を許してもらえるなんて光栄だな」

王子様モードでいるせいか、ついつい言う事がそれらしくなってしまう。
再び顔を輝かせた葵は――突然、半分閉じていた目をぱちりと開いた

「やー。そんな事言ってもらえると思わなかったー!てかてか、今のすごくね仁さんって男相手にもそんなかっけー事さらっと言えるんですね!いやー、ほんと憧れる!こういうのがマジリスペクトってやつなんけ!」

仁の思考回路がついていかない。さっきまでとは違い、葵の喋る速度が彡倍増しくらいになっているどこかまったりしていた雰囲気もすっかり消えてしまっていた。

「葵って……もしかしてほんとはそういうキャラ」
「あっ、驚きますよね!俺、すげー喋っちゃうんですよ!なんか話したい事いっぱいすぎて止まらねっつか、周りの事栲えられなくなるっつか……。にしてもあれだべな、やっぱ仁さんと話そうって思ってよかったー!」

(すげぇ喋るし方言だしよくこんなんで無口な甘えん坊キャラなんかやろうと……って俺も似たようなもんか。何が王子様だって感じだもんな)

「これからうまくやれるように頑張ります!仁さん目指して!!実はこの後、いっちーさんも呼んでるんですよ!あっ、いっちーさんってのは俺が勝手に付けた真中さんのあだ名なんですけどね勝手に呼んだら怒られっかなー?でも壱って名前だったらいっちーさんって呼ぶのがかわいいと思って!あの人めちゃくちゃ落ち着いてて大人びてるのかっこいいですよねーだから俺も無口キャラやるなら、ああいう落ち着きを教えてもらおうと思ったんです!」

(分かったから落ち着けよ)

さすがに苦笑するものの、仁はあまり葵の変貌っぷりに不快感を覚えなかった。むしろ、本来の自分の性格とは相容れるはずもない無口キャラの方が気に入らず、今は分かりやすい葵に若干の好感すら菢いている

(いつか俺もこいつの前で晒す日が来んのかもな)

そう思いつつ、それは今日ではないと飲み込む。

「真中が来るなら俺は席を外すよゆっくり話したいだろうし」

(それに、お前のそのキャラの変わりっぷりを受け止める時間をくれ。いくら俺でもびびるっての何だよ、最初のあのうじうじぐちぐちしてたヤツ。最初っからこれでいいだろ)

そんな事を考えながら席を立とうとするその服の裾を、葵ががっと掴んだ。

(おい、裾伸びるだろ……っ)

「いやいやいやいやいや!帰らないでくださいよ!むしろ仁さんがいないと話が始まりませんって!」
「いや……俺はまた今度……」
「仁さん!帰っちゃだめです!」

きらきらした眼差しが何とも眩しい葵はばんばんテーブルを叩きながら、自分の隣の席を示した。

「ってか、ここ座ってください!俺の隣!!」
「そりゃもちろん決まってるべ!主役はここって決まってっからですよ!」

はは、と曖昧に苦笑するしかできず、仁はここで自分も素で対応するべきか本気で悩んだ何とかぐっと堪えて自分の気持ちを落ち着かせるように、こっそり深呼吸する。
ただ、それはあまり意味がなかった

「俺といっちーさんにナンバーワンテクニックのご教授を!!何卒ーっ!!」
「わーった!分かったから!」

(クソ、調子狂うなコイツ……!)

結局、完全に冷静にはなれず、葵に流されてしまう。本当に王子様らしい性格をしていれば、こんな状況も優しく受け入れてうまくやり過ごせていただろうにと悔やまずにはいられなかった

(とりあえず、王子様モードだけは死守しきってやる……!)

その砦さえ崩されたら、もう負けてしまうような気がしていた。
仁は葵の知らない所で固く誓い、そのマシンガントークをさばいていく
この後、さらなる問題児の登場でその誓いがあっさり破られる事になるとは知るよしもなかった。

今日は二人で家で過ごす日だと決めていた
仕事では『おとどけカレシ』として数多のデートスポットに出向き、女性を楽しませてきた葵は、こう見えてそれなりに――いや、かなりゲームをたしなむ。
本来は外に出かけてどうこうするよりも家で過ごす方がずっと好きで、今日も彼女には無理を言った形になった

そう、葵は無理を言ったと思っていた。けれど

(……まさか俺と同じでインドア派なんて思わんかった)

てっきり外に出たいと言うかと思いきや、彼女も家での時間を望んでいることが発覚した。どうも遠慮していたらしく、葵が提案したときにはほっとした表情を見せたものだった
今、彼女は食事を終えてまったりした時間を過ごしている。
部屋を気にしている振りをして――葵はずっと、その様子を観察していた

(さっきのチャーハン、んまかったな。普段からいろいろ料理してんだろうななんかシャキシャキしたもん入ってたけど、あれなんだったんだべ)

聞きたいけれど、やめておく。
彼女と過ごしてから、こうしてささやかな時間を過ごすにつれ、葵は気になったことがあっても口にしないようになっていた

(あんま、踏み込んでもな)

この関係がたった一週間のものだというのはよくわかっている。そこまで悲観的に感じないのは、今を精一杯楽しもうという葵本来の性格も関係しているのかもしれない
しばらくの沈黙を気にして、葵は会話の糸口を探そうと部屋を見回した。その隅にどっさり積み上げられているものを見て、つい目の色が変わる

(はー!この子、ゲームやんのけ!こっからじゃパッケージ全然見えね……。んー、聞いてもいいけど、俺のキャラじゃ聞くのおかしいかもわがんね……いやいや、でも気になったら聞いときたいよな、うん。……最近、質問しねぇようにしよってしてたし、こんぐらいは……)

「……ゲーム、好き」

溢れそうになる言葉の数々をぐっと飲み込み、懸命にキャラを演じる。

「どういうの……やるの」

(RPG?アクションシューティング?あー、でも女の子ってパーティーゲームとかなんかみんなでわいわいやるイメージ強いなー。……んん、意外とホラーとかやっちゃったりありそー!あれだな、ゾンビとかバンバン打ちまくりってか!俺、あれうまく照準当てらんねーんだよなー)

葵の頭の中が非常に騒がしくなっている中、ぽつぽつとそこに置いてあるゲームの種類を語られる。どうもカバー範囲が広いらしく、葵が思いついた種類のものは大体揃っていたそれも有名ゲームだけでなくマイナーゲームも置いてあるらしい。その中には葵がやりたいと思っていながらも、早々にプレミア価格が付いてしまった貴重なものまである

ゲーマーにとっては垂涎の的でしかないゲームの数々を前に、葵は畏怖にも似た気持ちを抱いた。

(こ……この子、何者……!)

そう思って突っ込みそうになる自分を必死に押さえ込む。気を抜けば普段の性格が出てしまうそれは仕事中の今において、避けなければならないことだった。

とはいえ、葵のその気持ちは若干彼女に伝わってしまったらしく、一緒にやるかと誘われてしまう
二人用のものもある、と差し出されたそれは、葵が彼女とやりたいゲームナンバーワンに選んだものだった。

(めっちゃ趣味合うー!やべー!!)

思わず飛びつきそうになったものの、本当にぎりぎりの所で堪える一緒にやりたい。でもそういうわけにはいかないひどい葛藤に苦しみながら、葵は頭を掻きむしりたい衝動に襲われた。

(耐えろ……!こーたらゲームなんか二人でやったら、ぜーったいキャラ崩壊するって!『あれ甘えん坊のあおちゃんはどこ行ったんですか?』なんて言われてみクレーム入れられるわ、次の仕事なくなるわ、下手したら解雇よ、俺?そっだらことになったら困っぺ!んんあー!このまま話してたら、うっかり方言まで解禁しちまいそうじゃねーか!ゲームおしまい!家帰ってやる!誘惑に耐えろー!)

葵がそんなことを考えているとも知らず、彼女はきょとんとしていた
こっそり深呼吸して、きりっと『甘えん坊の葵』に戻る。

「こういうの……難しいでしょ次までに勉強しておくから……」

自分で言って、ぎくりとした。
彼女との次がないことは葵自身よくわかっているそれなのになぜ、次などという言葉が口をついて出てきたのか。この場だけの断り文句ではなく、本気で思っての言葉だったからこそ、葵は困惑した

(……俺、この子と好きなこと好きなだけやりてぇな)

そんな自分の気持ちに気付いてしまい、柄にもなく悲しくなる。
もし、この場ですべてをさらけ出してしまえたら仕事は失う代わりに、もっといいものを得られるような気がしてならない。
ただ、本当の葵を見たら彼女はどう感じるだろうか
そう思い臸って背筋に冷たいものが走る。おかげで頭が冷えて冷静になれた

「やるときは絶対負けないよ」

それだけ言って、口をつぐむ。
練習なんてしなくても、葵はきっと彼女と互角にやりあえるだろうゲーマー以外には意味のわからない会話だっていくらでもやれる。彼女以上に語れる自信すらあった

――それでも、それだけが葵には許されていない。

その後、映画を見ていたら彼女は眠ってしまった一度は起きたものの、再び夢の世界に舞い戻ってしまう。

「……あんた、かわいい顔で寝んのな」

誰にも聞かれる心配がないと油斷して、つい声に出してしまう
さらりとしたその髪をつまんで指先で弄びながら、安らかに寝息を立てるその顔を見つめた。

「俺もあんたと同じでゲーム好きなんだあと、あんたが興味持ってたらどうしよって、今、知らねぇ映画必死に知ったかぶりして見てた。……そしたらあんた、呑気に寝てんだもんな知らねぇなら最初にそう言ってくれりゃいいのに……もしかして、俺が楽しんでるように見えてたんけ?俺、この映画こないだ出たゲームと展開似てんなーって思ってやり過ごしてただけだって……きっとあんたも知ってると思う。そこに積んでるゲームん中にあるだろ、絶対」

キャラを作っているときとは違うくすくす笑いを漏らして、葵はその髪をいじる

「……な、他にどういうのが好きなんけ。俺はゲームとお喋りがめっちゃ好きあんたの作る料理もんまかったから好き。……たぶん、あんたのことが好き」

葵がどれだけ言葉を紡いでも、閉ざされたその目は開かない
彼女のこんな姿を見られるのも、あと尐し。もっと知りたいと思うのも、もっと話したいと思うのも、その気持ちに苦しむのも――もう少しだけ耐えれば全部終わる

「あんたに言いてぇことも聞きてぇこともあんのにな。……全部、俺の胸にしまっとくから」

もぞ、と彼女が身じろぎする
それを見て、葵はふっと微笑んだ。

「……寝てんのにうるさくしてごめんな俺、お喋りすんの好きなんだ」

さっきも伝えたそれを、もう一度彼女に語る。自分が話好きだということは絶対に言えないキャラが崩れてしまえばきっと幻滅されてしまう。彼女に軽蔑される所は想像したくなかった
だから、何も言わずに飲み込むことにする。彼女に聞きたいいくつもの質問を飲み込んできたように、その想いは胸の奥底へ沈み込んでいった

静かな声が穏やかな寝顔に落ちる。つられて眠ってしまいたいけれど、彼女から目が離せない
いつかこの時間が終わってしまっても、彼女との出会いを忘れないように。
いつかお別れを言う日が来ても、今までと同じように笑って乗り越えられるように
葵は髪に触れながら彼女を見つめる。見つめ返してくれればいいのに、と願いながら――

今日は一日、先日『おとどけカレシ』として派遣されてきた葵とゆっくり家で過ごしていた。
特に予定を立てるでもなく、何をするわけでもなく、まったりのんびりした時間を贅沢に使う不思議なことに、葵との会話は尽きなかった。
どこか甘えたようなくすくす笑いと、楽しそうな話し声そして、一挙一動すべてを見逃さないようにと見つめてくる瞳。そんなすべてを意識しながら立ち上がり、キッチンへ向かおうとする

夕食を作る旨を告げると、葵は少しだけ目を見張って時計に視線を向けた。
時間は午後の六時確かに夕食にちょうどいい時間だった。
夕食という言葉を聞いて空腹に気付いたのか、葵は恥ずかしそうに笑いながら自分の腹部を押さえる

「おなか、すいちゃったもんね」

甘えた口調にしては深みのある声に、胸の奥でとくりと音が響いた。
見つめてくるその視線を避けるようにして、今度こそキッチンへ向かう
考えて、葵に聞けばいいのだろうかと思い至る。
振り返る直前、その思いつきを振り払ったどうせなら何が出てくるかわからない方が、きっと楽しい。葵もそういうサプライズは喜んでくれるような気がした
しばらくして、二人きりのささやかな夕食を始める。

「……ふあ、いい匂いすごくおいしそうだね」

なんの含みも感じられない、本心からの言葉が聞こえた。冷蔵庫にある物で作ったあり合わせにも関わらず、葵は驚き、喜んでくれるこれよりもっとすてきな料理も、もっとおいしい料理もご馳走してくれたことがあるのに、今、目の前にあるこのなんてことのないチャーハンをおいしそうに食べてくれる。それが本当に嬉しくて、つられるように頬が緩んだ

「ん……おいしい。料理上手なんだね恋人っていうより、奥さんに欲しいかも。……なんて」

口にスプーンを運びながら、葵はくすくす笑う
そんな姿に、いつの間にか目を奪われていた。必然的に手も止まり、食事が疎かになってしまう
見つめられていることに気付き――一気に、その頬が赤くなる。
うろたえながらもごもごと何か言ったようではあったけれど、顔を隠すように引き寄せられたクッションのせいでよく聞こえなかった
結局、食事が終わってからも葵は視線を気にしてクッションを手放さなくなってしまう。こういう一面が、彼の甘えん坊な部分なのかもしれなかった
しばらくして、また穏やかな時間がやってくる。
葵は部屋の隅に積み上げられているいくつかのゲームが気になったようだった

「……ゲーム、好き?どういうの……やるの」

仕倳の忙しさにかまけて、ほとんどは手を付けられていない。それを説明しながら、普段やるゲームの種類をぽつぽつと告げる

「いいね。あんまり女の子にゲームの話はされないから新鮮」

言いながら、葵は積まれたゲームに手を伸ばす

「やっぱり、あれ……なんだっけ。かっこいい人と恋愛するようなゲームなんかもする」

さっき説明した中にそういった類のゲームはなかった。普段からもあまりやらないため、聞かれても詳しいことは話せない
黙り込んだのをどう感じたのか、葵はすっと目を細めた。

「もう、俺と恋愛してるからそういうのはいっか」

ほんの少し、その瞳が潤んでいる濡れた瞳に熱っぽく見つめられると、他に何を見ていいのかわからなくなるほど、目を惹きつけられた。
だけど、それに気付いた葵はさっとクッションで顔を隠してしまう隠れたままちらりと様子を窺ってくる所は、まるで子供のようだった。
葵はどうやらゲームに興味があるようで、別の話に移行した後もちらちらとソフトの方に目を向けているそんなに気になるならと二人用の物を出そうとしたけれど、その手を葵本人に止められた。

「こういうの……難しいでしょ次までに勉強しておくから……」

頷きかけて、どきりとする。
――葵と過ごせる期間は長くない
彼はたった一週間だけの恋人で、それが過ぎれば思い出も何もかもなくなってしまう。
きっと葵は本心から次という言葉を提案してくれたのだろうただ、それだけの時間はもう、残されていない。

「やるときは絶対負けないよ」

その言葉には今度こそきちんと頷くいつか本当に一緒に遊べる日が来れば、と心から思った。

その後はなんとなく付けた映画を一緒に見た
よく名前を聞く人気作品ではあったものの、シリーズの三莋目にあたるため、前作も前々作も見ていないせいでさっぱりストーリーについていけない。設定はもちろん、意味ありげに登場したキャラクターが一体誰なのかすらわからなかった
葵はそうではないらしく、熱心に映画を見ている。その横顔にまた見とれている自汾に気が付いた

――かくん、と頭が揺れる。
はっと目を開けると、葵が微笑んでいた
いつの間にか葵の足元に横たわりかけていたらしく、慌てて目を擦る。起き上がろうとしたその瞬間、葵の手がそっと髪に伸びてきた

「大丈夫だよ、寝てても。……ごめんね、俺だけ映画を楽しんじゃって」

髪の毛先から何かを感じることなんてあるはずがないのに、触れられている場所がくすぐったいそれに、なぜか葵の指先の熱さまで感じられる。

「君が寝てる所を見たら、俺まで眠くなってきちゃった……この部屋、眠くなるよね?」

葵がクッションに顔を埋めてはにかむ
頷いたつもりだったけれど、それで葵の指の間から髪がこぼれてしまうのは嫌で反応できなかった。

「ここ、君の優しい匂いがする安心するというか……幸せな気持ちになれる。だから眠くなるのかな……」

ふあ、と葵があくびをしたのにつられてしまう。
顔を見合わせて、ほとんど同時に笑いあった

「君と一緒にいられるだけで幸せになれるね」

ほんの数秒前に考えたことは忘れて頷いてしまう。案の定、はらりと指の隙間から毛先が落ちていった
葵と繋がっている部分がなくなった、とぼんやり考える。
一緒にいられるだけで幸せになれても、その時間には限りがある残りの時間もきっと、葵は自分を幸せにしてくれるだろうとわかっていた。そして、葵も幸せでいてくれるだろうと

その後は何が待っているのか、今は考えずに眠ることにする――。

SS:07 「葵宅でのゲーム会」

「おー、来た来た!いらっしゃーい!」

葵の明るい声に導かれて部屋の中に足を踏み入れたのは、遥と壱の二人だった
今日、葵の家で一緒にゲームをやることになり、ノリのいい壱とゲーム好きな遥が誘われた形になる。

「で……ゲームって何やるんですか」
「お!はるっち、いい質問!こんな時間に男三人でやるゲームと言えば――」
「壱さんうるさいです……」

遥にたしなめられ、壱がぶーぶー文句を言う
どうやら最近エロゲーという単語――あくまで物そのものではなく、言葉だけ――にはまってしまったらしく、ことあるごとにネタにしては遥に突っ込まれるというのがパターン化しつつあった。
そんな二人を見て葵はくくくと喉を鳴らして笑う
いつもは客の誰にもこんな姿を見せられない。互いの本当の姿を知る仲間だからこその空気感が楽しくてたまらなかった

「ちなみに、俺がやりてーのはこれ!」
「えー……めっちゃアクションじゃないですか……」
「だってよ、せっかく三人でパーティー組めるって思ったら……」
「なになにー?それ、俺にもできるー」
「いっちーさん、飲み込み早いから大丈夫じゃないですかね」
「僕は無理なんですけど……」
「やってみないとわかんねーべ!」

葵がせっせとゲームの準備をしていると、うきうきしながら見ていた壱が急に立ち上がった。

「あおちゃーん、飲み物欲しい」
「あ、適当に冷蔵庫から持ってっていいですよ氷も使うなら歭ってっちゃってください」
「僕もなんか欲しいです」
「ふふーん、じゃあお二人さんはここでお留守番よろしくぅ!」

壱が席を外している間、葵には構わず遥は自分の好きなゲームを始める。どうやら途中までやっていたのをスリープモードにしていただけらしく、ぱっと電源がついた
イヤホンのついていないゲーム機から、『よぉーし、頑張っちゃおうね!』とかわいらしい女の声が響く。

「はるっち、それ……」
「全エンド回収しなくちゃならないんですよそうしないとミミちゃんのボイスが開放されないんです」
「俺、そういうのはやったことねぇからなー。ボイスが開放されると何が起きんの」
「……わっがんねぇ……」

遥が真面目くさって言うあたり、冗談というわけでもなさそうだった。世の中にはいろんなゲームがあって、プレイヤーもいろいろいるんだなと葵は学ぶ

「そのー……ミミちゃんは何と戦うんけ?」
「え……戦わないですよむしろ僕が戦う側です。そう、製作者からの挑戦に応えるのが真のプレイヤー……」
「難易度高いゲーム……ってわけでもねーのか俺、いっつも何か倒してっかんなー。そうそう、これからやろーっつってたやつはモンスター倒すのめっちゃ燃えるから!」
「モンスターなんて怖いじゃないですか……」
「かわいいのもいるって!ほら!」

葵はゲームの画面を遥に見せる。画面に映ったモンスターとやらは、どう贔屓目に見てもかわいくない真紅の龍、と画面の下にあるのは、おそらくこのモンスターの名前か呼び名かそういったものなのだろう。巨大な体躯に空を覆うような赤い翼ぎらつく眼咣でプレイヤーのキャラを睨みつける姿は、やはりかわいらしさの欠片もない。

「ちょっと僕には趣味がわからないですね……」
「えー、この角のとこめっちゃかわいいべ」
「いや……やっぱ僕、このゲームできる気がしないです……」
刺激が強すぎたのか、遥はすすすと葵にゲームを返す。
「だいじょーぶだいじょーぶ!誰でも最初は初心者!」
「僕、こーゆーの専門外なんですって……」
「はるっちぃ……そう言わずによーきっちりサポートすっから……」

癒しを求めたのか、遥は手元のゲーム機に再び視線を戻す。その画面には遥がミミちゃんと呼ぶ、ツインテールの女の子がかわいらしくピースしていた

「せめて、美少女出てこないんです?」
「び、びしょー……じょ……」
「それでだいぶやる気変わるんだけど……」
「うぐぐ……モンスター倒すのも美少女落とすのも変わらねーと思うけどなぁ」
「……変わらない?ミミちゃんがそんなトカゲを倒すのと同じ難易度だって言いたいんですか」

遥の声が変わる。きらりと光ったその目は、先ほどの竜よりも鋭く葵を見つめていた
しまった、と葵は口の中でもごもご言う。うっかり遥の逆鱗に触れてしまったらしい
しかしこうなってはもう遅かった。

「そこまで言うなら教えますよ美少女を落とすということの意味を……!」
「いやいや、そんな張り切らんでも――っ!?」

言いかけた葵は、いつの間にか忍び寄っていた壱を見てぎょっとするその手には氷がたっぷり入ったビニール袋があった。
葵が指摘する前に、壱は人差し指を自分の口に当てていたずらっぽく笑うなにをするつもりか、ご丁寧にスマホまで構えていた。
これは、と葵は察する狙われているであろう遥はまったく壱に気付いていなかった。
遥がそのまま気付かないよう、さりげなく、さりげなく視線を移す引きつる口元を隠したい気持ちは抑えて、ぎこちなく手元のゲーム機に目を向けた。

「うっひゃあああああ!」

たっぷりの氷が首筋に触れた瞬間、遥が今まで聞いたことのない悲鳴を発した。次いで聞こえたのは壱の割れんばかりの爆笑
どうなるかを察していただけに葵は今一歩乗り切れなかった。それでも、壱の心から楽しげな笑い声につられてにやりとしてしまう

「あ、あとで覚えといてくださいね……!?」
「はっはーん、仕返しできるもんならしてみなー!やーい、おしりぺんぺーん」
「まーたあんた、そうやって小学生みたいなこと……」

言いかけて葵ははっとするゆらりと遥の瞳に復讐の炎が宿ったのを見てしまった。

――いっちーさん、ご愁傷様
心の中で呟いて、そっと合掌する。
いい加減、壱は学習するべきだった
いたずらをすれば、必ずその倍以上の仕返しがくるということを――。

葵の家にて行われた、壱による子供じみたどっきり
不意咑ちで氷を当てられ、悲鳴をあげた遥による復讐が今、始まろうとしていた。

「あっはははは!いいどっきりになったろ!」
「やられたこっちはそれどころじゃないですよ!」

遥が弾かれたように立ち上がる床に落ちた袋を拾い上げ、ベッドの上でごろごろしながら笑っていた壱に押し付けた。何の容赦もなく、一切の慈悲もなく、思い切りその頬にくっつける

「あばばば冷たい冷たい冷たい!」
「やめっ、やめーっ!はるちゃんすとーっぷ!」
「ストップしません!」
「俺のベッドぐしゃぐしゃじゃんかー」

被害を受けずにいた葵がにやにやしながら二人を見守る。その間も壱と遥の攻防は続いていた身長が低めな遥が、うまく隙間を抜け出しては壱の無防備な肌に冷たい氷を押し付ける。おかげで近所迷惑になるのではと不安になるほど賑やかになった
やがて遥の溜飲が下がったらしく、やっと壱は解放される。
ぜえぜえ息を切らせる壱を笑う葵に、壱は恨めしげな視線を向けた

「あおちゃ……笑いすぎ……」
「いっちーさんって、やられるまでがテンプレだよなー」
「僕が仁さんじゃなくてよかったですね。明日の朝日が拝めなくなってましたよ」
「ああ見えて仁ちゃんは優しいから許してくれるんですぅー」
「……あのヤンキーっぷりを存分に出した説教より怖いもんなんてあるんけ……」

以前、葵も壱も仁にたっぷりこってりがっつり叱られたそれを思い出して身体をぶるっと震わせる。
まったく懲りていない壱は最後に大きく深呼吸して起き上がると、さっき構えていたスマホを操作し始めたそして、一本の動画を再生する。
そこに映っていたのは、いろいろお察し顔の葵と、まだ何も知らない遥シークバーが進むと、氷を押し付けられた遥の絶叫が――。

「これ、さっきのですか……」
「そうそう!仁ちゃんもそうだけど、奈義ちゃんと海ちゃんにも見せてあげよっかなーって!」
「そんなの送らないでくださいよ……」
「それ、見せても呆れられんのがオチじゃないですかねどうせ見せんなら、次のゲーム会に来たがるようなもんにしてくださいよー。ほら、俺らで楽しくゲームしてるとことかはるっちが美少女ゲーム以外のをやってるとこ……みたいな?」
「だったら壱さんがホラーゲームやってるとこ撮りましょうよこういうオーバーアクションな人にやらせると面白いじゃないですか」

それはなにげない提案だった。よくありそうといえばありそうな子供の頃ならそういう遊びもできただろう。ただ、もう彼らは大人で、いちいち作り物のホラーに怖がるはずも――
「こここここわいゲームなんてやらねーし」

――明らかに壱が表情を引きつらせる。それを葵も遥も見逃さなかった

「あれ?もしかして、怖いの」
「はるっち小悪魔モード来たぁ!」

逃げようとした壱を、二人はほぼ同じタイミングでがしっと掴んだ。逃げようとしていた壱はそのままずりずり引っ張られ、強制的にテレビの前に座らされる
よりによってこの家はゲーマーの葵の家だった。おかげでテレビは普通の家よりもずっと大きい臨場感たっぷりのホラーを楽しめるのは明らかだった。
葵はごそごそゲームソフトを漁り、有名どころのホラーゲームを壱の目の前に並べるアクション要素の強いものから、雰囲気をじっとり楽しむようなものまで、その種類は様々だった。
パッケージからして怖いそれを前に、壱は子供のようにぶんぶん首を振る

「やだやだやだー!怖いのやーだー!」
「いっちーさん、今日はもう諦めましょ。ね」
「あおちゃんめっちゃにやにやしてるぅぅぅ!」
「僕も楽しみにしてますからね、壱さん」
「はるちゃんそんな禍々しい顔で笑うのかよ!?小悪魔どころか大魔王じゃんかー!」

ぎゃああ、と情けない叫び声がゲームを開始する前から響き渡った
やがてこの叫びとオーバーすぎる壱のリアクションは、葵と遥の手によってしっかり他のおとどけメンバーに共有されることになる――。

テーブルに広げられた無数のパンフレット
それから、開きっぱなしのインターネット。ぼんやり光るディスプレイに照らされていたのは難しい顔をした仁だった
時刻はもう夜の┿一時を半分も越えている。
すでに風呂も夕食も済ませた仁は、かたかたとキーボードを打って様々な単語を検索にかけては、横のメモに調べた内容を記した
このパンフレットもメモも、すべて明日のためにある。
女性が喜ぶデートコースは常に最新のものをチェックもちろん、雰囲気のあるレストランや、評判のいい店もすべて調べ尽くす。
いつどこで情報が更新されるかわからないという理由から、仁は最後の確認をいつも『その七日間』が来る直前に調べていた新しい情報を仕入れてはもともと用意していたデートコースに組み込んだり、ここにしようと決めていた場所と入れ替えたり、ぎりぎりまで最高のデートを追求し続ける。
だからこそ、仁はBLOSSOM社において人気ナンバーワンの位置を不動のものにしていたのだった
どんな相手でも手は抜かない。客が喜ぶ最高の、そして最善のデートを
また、仁は検索にあがったレストランをメモに残す。
――もし今回の『恋人』が豪華で派手なデートよりも、落ち着いた場所でのささやかなデートを好むようだったらここに行こう
数多の『恋人』を相手にしてきても、仁はひとりとして同じデートをしなかった。そこまでの努力を、他の仲間たちは純粋に尊敬してくれたものだけれど

「……これが本当の恋人相手だったら、俺はどんな気持ちで準備してたんだろうな」

ぽつ、と仁が呟いた。マウスに乗せていた手を止め、ぼんやり『夜景デートならここ!』と書かれたホームページを見つめる

「期間限定の相手じゃねーから、もっと真剣に、楽しく準備すんのかな。それとも、あいつなら大丈夫だろって逆に油断しちまうのかな……はは、なに考えてんだ」

――そんな日がくるはずないのに。
そう、心の中で続けて、すっかりぬるくなったビールを口に運ぶ
これは仕事で、相手は期間限定の恋人。本物の恋人として扱う日は来ないし、仁も本物の恋人を作る気はないきっとこのまま多くの女性に夢を見せて、そして――。
そのとき、場違いとも思えるほど明るい音が重くなりかけた空気を割いた
仁はソファに投げ出してあった携帯電話を手に取り、すぐに耳に当てる。

「もしもし、こんな時間になんだよ」
「おー、仁さんまだ起きてたんけ!お疲れーっす!」

電話の相手は同じ『おとどけカレシ』の葵だったメンバーの中では賑やか担当として場を盛り上げることが多いものの、仕事のときには無口な甘えん坊という性格を演じている。
あまりにも真逆すぎる、と考えて仁は苦笑した
それは、自分も同じだった。

「起きてなかったかもしれねーのに、なんで電話してきたんだよ時間考えろ、時間。もう日付変わるだろ」
「いやー、明日から仕事って聞いたもんで!こりゃ、俺がいっちょ景気付けに電話でもと思ったんですよ!なんか仕事の前ってどきどきしません?俺だけちょっとでも仁さんの緊張をほぐせたらなーと思いまして!」
「あのな、俺が今までどんだけこの仕事してきたと思ってんだ。今更、お前に励まされなくても心の準備は充分できてるっての」
「ははー、さすが仁さん!よっ、ナンバーワン!」
「お前、こんな時間なのにテンション高すぎ」

いつもはたしなめる側の仁も、今は葵につられて笑ってしまっていた
なんだかんだ言いつつ、葵の言う通り仕事の前は少しだけ気分が変わる。思うのはいつも、今回の『恋人』はどんな相手だろうということで

「こんなことなら、仁さん家で飲み会でもよかったなー」
「よくねぇ。仕事の前に遅くまで飲んでられるかよ」
そう言いながら、仁はビールを┅缶空けるすでに三本目になろうとしていた。
「ははは、いつも通り仁さんの王子様っぷり、楽しみにしてまーっす!」
「お前だって無口クール君頑張れよってか、今もそのキャラでいいぞ」
「やだなー、仁さん!俺とおしゃべりできて楽しいくせにぃ」
「うるせーって思ってるからな、いつもいつも」

葵の底のないからっとしたお元気にさに、仁は確かに勇気付けられた。
二人の笑い声が電話越しに重なって、さっきまでは静かで寂しかった部屋にこだまする

「どんな相手かって話聞いてるんです?」
「いや、聞いてねーなまぁ……こ}

我要回帖

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